オーストラリアの首都はキャンベラ!でも、あんまり知名度高くないですね。^^;そんなキャンベラからごくフツーのオーストラリア生活をお届けしてます。


by johnnycake
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同窓生の消息

ずっと以前に「このゆびとまれ」という同窓会支援サイトというものに登録しました。そのきっかけは、連れ合いの友達で、これまた同じ時期にイギリスからオーストラリアに移民してきた人が、イギリスのFriends Reunitedという同じようなウェブサイトに登録して旧友と再会したという話を聞いたことでした。私は、25年前にオーストラリアに移り住んでから何度も住所が変わり、実家も東京から福岡に移ってしまったので、同窓生の消息など全くわからない状況になっていました。

誰か見つかればおもしろいかな、というぐらいの軽い気持ちで登録し、そこで大学時代の先輩を見つけ、ネット上でのやりとりが始まったのは嬉しかったです。それが本当にもう4,5年前の話で、その後すっかり忘れていました。

ところが今年の5月だったか6月だったかに思いもかけず、その「このゆびとまれ」のサイトを通じで高校時代の同窓生から連絡があったのです。その人は、名前は聞いたことがあったけれど同じクラスになったこともなく、殆ど接点のない人だったのですが、今年の同窓会の運営委員の一人となっていて、学年全員の消息を辿っているとのことでした。

高校時代は、学校よりも学外の友達のほうに目が向いていたし、卒業してから連絡を取った同窓生もいなかったので、正直連絡いただいてもぴんとこなかったのです。とりあえず同窓会の出欠と今の連絡先をクラスの幹事に知らせて欲しいとのメッセージだったので、出席はまず無理という返事を出したのですが、同時にFacebookの同期会のページに招待され、参加したところ、懐かしい名前がごろごろ。

しかも自分でも忘れていた高校時代のあだ名や、私が卒業式に着ていた服(学校は私服の学校でした)を覚えていたくれた人までいてびっくりしました。

不思議なもので、Facebookのページを眺めているうちに同窓会に参加したくなって、とうとう休暇申請し、航空券まで買ってしまうことに。おまけに運営グループのお手伝いまで申し出るという自分でも驚く展開に、これはいったいどうしたこと!?きっと東京にまだ住んでいたらそれほど懐かしいとも思わなかったんだろうなぁ。

自分の今いる場所が高校時代の同窓生の今いる場所とあまりに離れてしまっていることが、逆にその人たちと再会したいという気持ちにさせるのかもしれません。

同窓生365人いる中、同窓会は200人以上が参加予定だそうです。私の消息がわかった時点で残り34人が消息不明だったのですが、それも8月中には全員の消息がわかりました。「捜索隊」と呼ばれるグループの報告がだんだんとFacebookのページにあがって行って、地球の反対側にいながらその様子がリアルタイムで伝わってくることの不思議。すごい世の中になったものです。

そんな中、2年生のときに一緒に学校旅行の実行委員会に入っていた同窓生のY君が23年前に亡くなったということが話題になって愕然としました。そのY君とは委員会で一緒だっただけですが、学校の2泊3日の旅行の実行委員会ということもあってずいぶん時間も取られたし、グループもかなり親密になっていました。その実行委員会の打ち上げを実はY君の自宅でおこなっていて、今年の同窓会であの委員会の皆と再会できるかな、と思っていた矢先のことだったので、余計にびっくりしたのでした。

それが1ヶ月ほど前のこと。そして今日はまたショックな発見をしました。名簿確認として回ってきたファイルの中に名前の欄が違う色になっている人が何人かいるのです。その一人がY君。他には卒業後半年で交通事故で亡くなったO君。そうすると、この違う色の人たちは亡くなった方々!?と改めて見てみると9人いました。そして、その中に同じ中学から一緒に高校にあがったS君がいたのです。

S君が亡くなっていたとは本当に驚きで、Y君のとき以上に受け止められずにいます。S君とは中学2,3年でクラスが一緒だったのですが、彼は髪の毛の色が薄くパーマをかけたように巻き髪で、色白で、今思うともしかしたらアジア系以外の血が入っていたのかもしれません。その髪の色とウェーブをネタにかなりいじめられていました。いじめられていたからといって卑屈になるタイプではなく、かなり相手に歯向かうタイプの子だったんですが、私とは結構気が合って、同じ班で隣の席だったこともあります。

高校も一緒だったわけですが、高校では同じクラスになることがなく、友達グループも別々で、自然に離れていきました。でも、今でも同窓生の間で語り草となっている吉祥寺飲酒事件でかなり酔った私を介抱してくれたのはS君でした。翌日学校の廊下でS君にお礼を言ったのが彼に関する記憶の最後かもしれません。

S君は、Y君以上に今回の同窓会で再会できたらおもしろいだろうな、と思っていた人だっただけに、しばし呆然でした。

こうしてもう会いたくても会えない人々がいることを知ると、今回の同窓会では色んな人と積極的に再会しておきたいものだと思ったりもするのでした。
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by Johnnycake | 2012-09-12 22:49 | その他