オーストラリアの首都はキャンベラ!でも、あんまり知名度高くないですね。^^;そんなキャンベラからごくフツーのオーストラリア生活をお届けしてます。


by johnnycake
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カテゴリ:旅行:イギリス・日本2005( 35 )

長旅の終わり

2ヶ月間あちこち渡り歩いた我々の北半球の旅も終わりをむかえました。帰路はロンドン→成田(乗り継ぎ・待ち時間5時間)→シドニー→キャンベラ、機内2泊という強行軍でした。ロンドンー成田は満席ではなく、横になって寝ることができましたが、成田ーシドニーは超満席で、とにかく疲れた~。成田を出たのが23日夜でしたが、何でも25日にオペラハウスでジャパンデーの催しがあって、それに出演する様々なグループが乗っていたようで、団体さんが少なくとも4つは入ってました。どちらの便も台風接近ということで「乱気流の影響で揺れるかもしれない。」と再三アナウンスがありましたが、幸い言われたほどは揺れずにすみました。ロンドンを出たときは、夏だというのにかなり寒くしかも強い雨でしたが、シドニー空港に降り立ったときは、空気は冷たいながらも快晴。着陸前には美しいシドニー湾をたっぷり見せてもらって、灰色のロンドンとは何という違い!

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キャンベラの家も、庭のあちこちで花が咲き始めていて、不在だった日々の長さを感じさせてくれました。鍵や金魚を預けていたお隣さんがタクシー到着と同時に出てきてくれて、「鍵がないと家にも入れないだろう。」と言ってくれたし、帰宅して1時間もしないうちに友人がパン、牛乳、チーズを持って「ランチに食べて。」と来てくれました。「ああ、帰ってきたのね。」と長い長い旅の終わりを実感したのでした。この旅は旅費の援助、空港からの送り迎えや、滞在中の宿まで、実にいろいろな人のお世話になりました。2ヶ月間楽しく過ごせたのも、本当に家族・友人たちのおかげです。ありがとうございました。

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by johnnycake | 2005-08-24 23:10 | 旅行:イギリス・日本2005

Do Me Bad Things

連れ合いの甥っ子は今年25歳になりますが、小学校に入る前からドラムが大好きで、とにかくドラムを叩いていれば幸せ、という子でした。中学校に入る頃からあちこちのバンドに入り、作詞作曲も自分でするようになり、ここ5年ほどはパブなどで演奏してきました。数年前に新しいバンド Do Me Bad Things を結成し、レコード会社と契約して、レコーディングやらコンサートやら忙しくしています。我が家の娘たちも、連れ合いの弟の子たちも、このずいぶん年上の従兄を少し怖いと思いながらも憧れていて、車で移動の時などはバンドのCDをガンガンかけて一緒に歌うのでした。そんな子供たちを見ながら、一度コンサートに連れて行ってやりたいよね、と連れ合いと話していたのです。7月、8月は次のEPのレコーディングとスペインでのコンサートだと言うのであきらめていたのですが、帰国前の最後の週末に急にNorth Hamptonのお祭りで演奏することになり、さらに野外だから子供たちにもいいだろうと言うことで、出かけてきました。出演夜10時から45分間、そこに行くまで1時間半というちょっと強行軍ではありましたが、やはり「生演奏」は良かったです。子供たちも大喜び。CDやポスターにサインまでもらって、ゴキゲンでした。

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by johnnycake | 2005-08-20 21:16 | 旅行:イギリス・日本2005

イースト・エンド

c0013324_21151028.jpg暑い日でしたが、電車に乗ってロンドンのイースト・エンドに連れ合いと子供たち、それに義妹と計6人で行ってきました。義妹宅から歩いて行ける駅には1時間に一本しか電車が来ないのですが、乗ればヴィクトリア駅まで行ってくれるので楽です。イースト・エンドは労働者階級の住む地域として知られていましたが、近年はバングラデッシュからの移民が多く住むところで、その一角はバングラシティと呼ばれていました。イースト・エンドに行ったのはロンドンの闇の歴史をたどってみたかったからなのですが、脇道のところどころにたむろする明らかに失業中の若者や、一癖も二癖もありそうなおじさんたちなどを見ていると、現在でも十分闇のあるところだと思いました。義妹の持っていたガイド・ブックにはJack the Ripper (切り裂きジャック)の犠牲者たちがどこで殺されたかというようなことが書いてあり、それをいくつか回ってみました。写真のパブは犠牲者のうちの多くが常連だったというパブです。

c0013324_21153753.jpgこのパブに限らず、あちこちに古い建物が並んでいるのですが、中にレンガで窓がふさがれているものがいくつかありました。これは、昔「窓税」という税金が課されたことがあって、「窓の多い建物=お金持ちの住む建物」というようなことをお役人が言い立てたため、窓の数が多いほど税金を取られることになり、それならばふさいでしまえということになったのだそうです。しかし、ふさがれた窓が今でもこうしてそのまま残っているというのがなんだかおかしかったりします。

暑いからもうそろそろ地下鉄に乗って帰ろうか、とインド系の人たちでごったがえす大通りを駅から100メートルぐらいまで来たときのこと。突然義妹と一緒に後ろを歩いてきていた三女が鼻血を出してしまいました。それも大量に出てなかなか止まらない。道端にぽたぽたとたらす血を見てまわりに人が集まってきてしまいました。「上を向かせて寝せなきゃだめだ。」「鼻を押さえなきゃだめだ。」「氷で頭を冷やさなきゃだめよ。」等々、10人10色の鼻血対策を伝授しようとしてくれるのです。道を渡ったところに救急病院があるからそこに連れて行け、と誰かが言い出し、そうだそうだとそれこそ三女をそのままかかえて行こうとする人まで出る始末。病院に行くまではなかろうけれど、兎に角周りが騒ぐので冷房もあることだろうし、と行ってみました。病院の中でも「あれまぁ、どうしたの。」と待っている人たちから声をかけられたりして、これまで見てきた白人のイギリスとは何だかずいぶん違う「下町人情」のようなものに触れた気がしました。義妹も「あんなにみんな集まって心配してくれるなんて、普通、ロンドンじゃ考えられないわ。」とびっくりしていました。


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by johnnycake | 2005-08-19 21:14 | 旅行:イギリス・日本2005

ハイズのフロート祭り

c0013324_22171687.jpgハイズという港町がイギリス南岸にありますが、そこで2年に一度のお祭りがあり、「これは見逃せないよ。この日は空けときなさい。」と、それこそ6ヶ月以上も前から舅に言われていたのでした。この港町、かなり由緒のあるところで、昔はヨーロッパからの侵略を防ぐために要塞化された「5港」の一つだったそうです。当日は舅の計画した通り皆でフィッシュアンドチップスのお店で夕食を食べ、お祭りのある川岸にピクニックシートを広げて座り込みました。このお祭り、地元のいろいろなグループが飾りつけした「フロート」を競うもので、同じフロートが昼の部と夜の部でパレードします。昼の部の審査と夜の部の審査に分かれ、なるほど、日の光の下で見るのと、ライトアップして川を下るのとではかなり雰囲気が違うのでした。2年かけて準備するというフロートは、それなりに趣向を凝らしてはありましたが、ほぼ小学校の学芸会のノリ。「見逃せない」というようなものかなぁ?とかなり疑問でした。これが日本だったら地元がもっとお金をかけて豪華なものを作って観光資源とするのだろうなぁ。なにも2時間かけてドライブしてくるほどのことはなかったのに。でも舅が前から楽しみにしていたのだし。などと思っているうちに昼の部終了。

c0013324_22174174.jpg昼の部と夜の部の合間に花火がありました。この花火、これは2時間かけて来た甲斐が少しはあったかもしれません。最近の映画、宇宙戦争の音楽にあわせて見事にあがる花火。これがちょうど良く見えるところに座っていた我々もラッキーでした。思いがけず近くにあがる花火にかなり退屈してきていた子供たちも大喜びでした。花火にとても気を良くした我々。さらに、暗くなってから川をパレードするフロートもイルミネーションのおかげで10倍くらよく見え、後半のほうがずっと楽しかったお祭りでした。結局パレードが終わったのは10時過ぎ、義妹宅に帰りついたのは夜中を回っていました。舅は私達にだまっていましたが、実はこのお祭り、反対側の川岸の土手の向こうには仮設遊園地があって私たちが見たものよりもずっと大きなお祭りだったのでした。舅がお金のない私達を気遣ってくれたのか、遊園地に足を踏み入れずに帰宅できたことは幸いでした。


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by johnnycake | 2005-08-17 22:16 | 旅行:イギリス・日本2005

センター・パークス

ボストンから南に2時間ほど行ったところにセンター・パークスというリゾートがあり、連れ合いの弟一家と妹と総勢10名で週末を過ごしました。セルフ・ケータリングのできるバンガローが森の中に点在していて、一定時間以外は車の出入りが禁じられているため、家族連れに人気のあるリゾートです。中心にはスポーツ施設、レストラン、屋内プール、スーパーマーケットなどがあります。スポーツ施設の利用やアクティビティは有料ですが、プールは無料。我が家は毎日泳いでいました。それもただのプールじゃなく、フルームと呼ばれる滑り台・チューブがいくつもあるし、波の出るプール、渓流を模したかなり危ない流れるプール(滑り台?)などがあって、一日いても飽きないようなところなのでした。プールの他にテニス・バドミントン・ボート遊びなども楽しみ、とてもリッチな週末でした。しかし、ハイライトは何と言ってもロッククライミングでした。挑戦したのは、我が家の長女、従弟の子、連れ合いの弟と妹の四人で、残りの6人は見ているだけでしたが、これが見ているほうも結構面白かったりして、2時間たっぷり楽しみました。実際にやってみるとかなり難しいようで、身体の小さい長女はどうかなとちょっと心配でしたが、体重の軽いということがアドバンテージになるようで、一緒に参加した大人たちよりもすいすい登っていたのには驚きました。

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by johnnycake | 2005-08-14 22:10 | 旅行:イギリス・日本2005

ボストン

c0013324_75657100.jpgボストンと言えばアメリカですが、実はアメリカのボストンはイギリスのボストンという町の名前を拝借したものです。アメリカとの絆が強いのかと思いきや、オーストラリアとの絆もあったのでした。オーストラリアでは有名なバス(ニュージーランドとオーストラリアの間の海峡はバス海峡といいます)、バンクス(植物学者で、バンクシアという植物は彼の名前を取っています)などがこの付近の出身なのだそうです。ボストンにある教会はParish Churchとしてはイギリス一の大きさを誇る教会で、中も立派でしたが、塔も立派でした。

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c0013324_7572092.jpgこの塔はBoston Stump(切り株)と呼ばれていて、それは、塔の尖塔が建設中に傍の川に落ちてしまい、結局尖塔なしの塔になってしまったからなのだそうです。塔の途中までは階段で登ることができます。そこから見た景色はちょっとハリー・ポッターのおじさんたちが住む町並みのようにも見えました。

ボストンから南にかけてはとても平坦な土地で、昔オランダから干拓技師達がやってきて沼地を干拓していったのだそうです。あちこちにオランダゆかりの土地の名前が見られました。今はキャベツなどの農作地帯で、道には多くのトラクターが見られました。また平坦なのと海に近いのとで空軍のジェット機演習場ともなっていて、週に何度か午後の1時間ほどジェット機が轟音をたてて飛んで行くのがみられました。NATO軍の演習場でもあるようで、「水曜日はドイツ軍の日」なのだそうです。最初の演習のときは「こんな騒音のなかでよく生活していけるなぁ。」とびっくりしたのですが、3日も続くと「あ、またやってる。」と慣れてしまったのですから恐ろしいものです。


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by johnnycake | 2005-08-11 07:55 | 旅行:イギリス・日本2005

スケグネス

c0013324_7532231.jpgボストン(アメリカのではなくイギリスのです)に数日泊まり、そこからスケグネスというビーチに遊びに行きました。かなり昔からバーミンガムやマンチェスターから夏休みの家族連れがやってくるところらしいのですが、イギリス南東部との貧富の差を感じさせるところでした。もちろん北部にも裕福な人はたくさんいるでしょうが、このスケグネスに来るような人たちは、どちらかと言うと、「両腕いっぱいに刺青したおとうさんと太り気味のお母さんに連れられた大勢の子供たち」というパターンで、ちょっとしたカルチャーショックでした。砂浜はかなりの規模なのですが、有明海のように浅い海で、潮が引いているときはかなりの距離を歩かないと水にたどりつきません。しかも、寒い。泳ぐなんてとんでもない。セーター着てもいいくらいの気温で、風も強かったです。イギリスのビーチといえば、たいていどこにでも見かけるのがこの写真にあるような、「風除け」とデッキチェアーの貸し出しです。これだけ風が強くて寒けりゃ風除けの中でデッキチェアーに寝そべってるしかすることがないかも。

ビーチでは、

  • 子供をロバに乗せる
  • フィッシュ・アンド・チップスを食べる
というのが昔からの定番だそうで、せっかくイギリス昔ながらのビーチに来ているのだからと子供たちをロバに乗せてやりました。一人1ポンド50ペンスで、海岸の一定距離を往復します。時間にして10分ぐらいでしょうか。このロバ乗り、見かけただけでも5つぐらいのグループがやってました。オーストラリアのビーチじゃ見かけたことのないロバ。イギリスでは昔ロバは小麦粉などをひいていたそうですが、機械の発達などとともにお払い箱となり、それの使い道に困って思いついた商売上手がいたんじゃないだろうかということでした。

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それにしても、ビーチへと向かう目抜き通りに延々と並ぶお土産屋を初めとする店の数々に大昔行った三浦海岸を思い出してしまいました。15年前に行った別府もちょっとこんな感じだったような。さびれてはいないけれど、昔からある観光地って独特の雰囲気があります。


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by johnnycake | 2005-08-09 07:53 | 旅行:イギリス・日本2005

駆け足のケンブリッジ

c0013324_7502618.jpg舅の住む町に何泊かすることになって、そこに行く途中にケンブリッジに寄りました。朝だいぶ遅くまで義妹の家でのんびりしていたので、ケンブリッジ見学はパスしなくちゃいけないと思っていたんですが、思ったより早くそのあたりに着いたので、寄ることにしました。しかし、高速を降りてケンブリッジに入ったとたんに大渋滞。戻るにも戻れず、駐車場を見つけるまで1時間近くかかってしまったのでした。イギリスの町にはPark and Rideというシステムのあるところが多く、郊外の広い駐車場に車を停めてバスで市内観光に向かうというものですが、そのバスですらこの大渋滞に立ち往生してました。兎に角停めるものを停めてから、お目当てのキングス・カレッジに向かいます。途中このおもしろい日時計の下を通りました。オックスフォードにも、ケンブリッジにも日時計。いったい誰が日時計を作ることを決めたのでしょう。機械じかけの時計がまだ無かった頃は日時計が学問する人たちにとって重要だったのかしらん。

毎年クリスマスになるとテレビでキングス・カレッジ聖歌隊のコンサートを見るのですが、その聖歌隊の歌う聖堂が一般公開されています。残念ながら室内撮影禁止でしたが、高い天井はこの様式のものでは世界一だとか。娘たちにも「ここで聖歌隊が歌ってるのをテレビで見たでしょう。」と言うのですが、彼女たちはそんなことは覚えていません。今年の終わりに見るときには「ほら、ここに行ったでしょう。」と思い出させてあげなくては。舅の夕食に遅れてはいけないと残りは駆け足で見て回った後はまたまた大渋滞を抜けて高速に戻ったのでした。ケンブリッジはオックスフォードよりも人が多くてより観光地という感じがしたのですが、それはオックスフォードは夏休み前に行ったのでそういうふうに思ったのかな。

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by johnnycake | 2005-08-08 07:49 | 旅行:イギリス・日本2005
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2日かけて26マイル(約40キロ)を歩くというウォーキング・ホリディ(ワーキング・ホリディではありません)に義妹夫婦と連れ合いと4人で出かけました。義妹夫婦は1年半ほど前から定期的にこういったホリディに出かけていて、長い時では5日かけて歩くのだそうです。旅行会社が企画しているもので、泊まるところは、B&B(Bed & Breakfast)と呼ばれる個人経営の宿ですが、泊まりに必要な荷物は旅行会社が手配して全て次の目的地まで運んでくれるというものです。ですから、ハイキングにかついでいく荷物は最小限ですみます。今回のハイキングは特にアメリカ人に人気のあるThe Cotswoldsという地域でした。オックスフォードの北西にあります。石造りのかわいい家が並ぶ地域で、時代劇の撮影などもよく行われるそうです。

c0013324_857106.jpg一日目はBourton-on-the-Waterという小さい町から出発し、Upper Slaughter、Lower Slaughterなどという町を通った後、Guiting Powerという町のパブで昼食。ここまでは天気にも恵まれて比較的平坦なファームを通る道のりでしたが、昼食後はかなり険しい山道に入り、途中道に迷ったこともあり、長い道のりに感じられました。目的地のWinchcombeという割合大きな町に着いたのは6時過ぎ。出発が10時過ぎでしたから、昼食の1時間を除いて7時間近く歩き詰めだったことになります。一日目歩いた道のりはWodens Wayという標識のついている道で、そのほとんどはファームを通ります。イギリスにはPublic Footpathというのがファームの中を通っていて、ハイカーはそこを通る「権利」があります。時には麦畑のど真ん中をこのPublic Footpathが通っていて、「ほんとにこんなとこ通って怒られたりしないの?」という気がしてくるのです。また、放牧してある家畜が逃げ出さないようにゲートがしてあるのですが、いたるところに「ゲートをきちんと閉めてください。」というサインがあって、ハイカーがちゃんとゲートを閉めないと家畜が逃げてしまったりするのだから、農家も大変だろうな、と思ったりするのです。羊、馬、牛、鶏、雉のファームを通りました。中でも鶏は圧巻で、広い農場いっぱいに放し飼いにしてある鶏が写真を撮ろうと止まったとたんに「餌くれ」とわらわらとやってきたときはちょっと怖かったです。

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c0013324_858791.jpgゲートにはいろいろありますが、最近ではKissing Gateと呼ばれるこのタイプが多く普及しているそうです。この名前はゲートを挟んでカップルがキスをするというロマンチックなイメージがあるからなのだそうです。他にはフェンスをまたいで行けるように階段のついているものなどがあります。

2日目はほとんど家も道路も見えないところをひたすら歩きました。一応Windrush Wayという名前のついたPublic Footpathをやはり7時間近く歩きました。途中昼食をとれそうな場所がないというのはあらかじめわかっていたので、Winchcombeでサンドイッチと飲み物を調達してから出発しました。昼食をとれるところどころかトイレにもお目にかかりませんでした。さすがに2日目は前日の疲れも残っているし、膝は痛くなるしで、会話も途切れがちでしたが、変化に富んだ景色を大いに堪能することができました。翌日は膝が痛くて階段の上り下りもままならず、日ごろの運動不足がたたりましたが、「歩く」ことでした見られないもの、経験できないものがいっぱいあったと思います。

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by johnnycake | 2005-08-03 08:56 | 旅行:イギリス・日本2005

Blenheim Palace

c0013324_6412441.jpg3泊4日の小旅行に連れ合いの妹夫婦と出かけましたが、目的地の途中オックスフォードから少し北に行ったところにBlenheim Palaceというところがあり、そこに寄りました。バロック様式の館で、庭の広さなどもかなりのものです。ここには現在も「公爵」が住んでいますが、館の半分と庭の大半は一般公開されています。第二次世界大戦中に英国首相を務めたウィンストン・チャーチルの生家でもあります。現公爵の大叔父さんだかにあたるのがウィンストン・チャーチルだとか。庭にはチャーチルが後の夫人にプロポーズした場所だとかが記されていました。世の中にはこういう豪邸に生まれ育つ人もいるのねぇ、と貴族の国を再認識したり。

久しぶりに天気の良い日で、庭の散策もとても楽しいものでした。かなり大きな薔薇園もありました。残念ながら一番綺麗な時期は過ぎていたようで、ちょっとくたびれた花が残っているのが多かったのですが、それでも、良い香りを楽しませていただきました。

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c0013324_6431289.jpg館の中は豪華絢爛で、規模の違いはあれ、ヴェルサイユ宮殿を思い出させるものでした。そうしたら、ガイドの人曰く「この部屋の家具はヴェルサイユ宮殿にあったものです。」ヴェルサイユを観光したときは、もともとあった家具などは革命の後であちこち離散してしまったという説明を受けましたが、こういうところに収まっていたのですね。いったいどういう経緯でイギリスに収まったのだか。この豪邸は、18世紀初頭に軍功のあったMarlborough公爵にアン女王が土地を贈ったのが始まりだそうですが、土地は未だに王家の所有(crown land)とみなされていて、毎年王室に「貢物」を持っていかないと、土地が王家に没収されてしまうのだそうです。このBlenheim Palaceからはある壷を「見せに行く」のだとガイドの人が説明していました。あげるんじゃなくって見せるだけなのね?とよくわからずに聞いていた私です。いずれにしても、形式上の貢物なのですが、一年に一度のこの儀式、もしも忘れてしまった場合はどうなるんだろう、とちょっと心配なのでした。


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by johnnycake | 2005-08-01 18:39 | 旅行:イギリス・日本2005